月刊で学校からPTA新聞をもらいます。
令和2年1月号。その中に、ハッ!と気になる記事がありましたΣ(・ω・ノ)ノ!
『 子育て から 子育ちへ 』スクールカウンセラー山口さん…という方の記事でした。
「あー…私のしていたのは、こんな事だったのかな…。」と答えを教えてもらったような気分になりました。
この様な日記?みたいなブログに、地域の新聞の記事を載せるのはどうかな…と思いますが、あまりに興味深い内容だったので振り返りたいと思います(*- -)(*_ _)
おっかさんと同じように感じる親御さんもいらっしゃるのではないでしょうか(*´ω`*)
子供のためと思っていた『子育て論』、でもそれは大人の理想や思いを投影したもの…という話
この記事を読んで…
子供のため、将来のため…と子供を思い、導いたり伝えたり習い事を進めたり…。
色々励ましならがら、時には戒めたり叱ったりしてきましたが……本当に難しい‼
以前、教頭先生とお話をした時の、
『子供に教えられることはたくさんある。』
という言葉を思い出しました。
親が主体ではいけないんだな…。
子供から感じたり、関心させられたり…と、たくさん教えられています。
【 記事より 】 ↓↓↓
世の中には非常にたくさんの子育て論があります。
こうやって育てればこうなるとか、この方法がいいとか、この育て方は良く無いとか…。
世界を見渡せば、さらに多くの無数の子育て論、方法論があります。
ただそれらのほとんどは、こういう子に育ってほしいといった大人の理想や思いを投影したもののように感じます。
方法が重要になるということは、結果が重要になります。
結果が重要になるということは、子供を親の思い通りにするという意識が、意識的にも無意識的にも非常に強くなります。
良い子になってほしいという思いや理想は、
その様な願望で必ず子供を支配します。
どんなに子供に優しく声をかける子育てであっても、
親や大人の理想から出発した子育ては、真綿で首を絞める形で子供を支配します。
親の思い通りが優しさで包まれているため、
子供は矛盾と葛藤を感じながらも、
その矛盾と葛藤をしっかりと認識し、言語化することが出来ないのです。
いつもすっきりしない違和感を感じながら、
直接反抗・反発が出来ずに生きています。
その様な中で、反発出来る子もいますが、真綿で包まれた支配の中で育った子の多くは、
心に爽快感がなく、明るさがありません。
不安や恐怖で心がいっぱいになってしまっているからです。
勉強が出来る子になってほしい、運動が出来る子になってほしい、これらもすべて同じです。
親の理想が中心の親の思い通り子育ては、必ず子供の心を委縮させます。
そして、その子がたとえ良い子に勉強が出来る子になったとしても、
その子に本当の自信がつくことがありません。
何故なら、そのように育った子は、本当の自分を知らないのです。
結果が中心で育てられた子は、どのように人から見られているか非常に重要になってしまうのです。
今、失敗を恐れる子が沢山います。
ただ、子供たちの意識をしっかり見てみると、本当は失敗を恐れているのではなく、
相手に失敗したと思われることを恐れているのです。
それだけ自信がなく、自己保身が強くなっているという事です。
子供は育てるものではなく、育つものです。
子供が育つプロセスをしっかりサポートし、手助けすることが親の役愛(ヤクメ)なのです。
そのためには、子供への真の尊重と信頼が必要です。
親が上で子供が下という事はありません。
立場が違うだけで、上下の無い大切で平等な存在です。
『子育て』から『子育つ』へ。
方法論から、愛するへ。
子供の真の幸せのために、もう一度原点にかえる必要があるのではないかと今強く感じます。
以上です_(._.)_
※記事は長文で、その中から私の心に残った部分の抜粋をしたので、要約とはいえないです(;^_^A
子育てを振り返らずにはいられませんでした。( ;∀;)
随所に、じわじわ~と心に響くものがありました。
抜粋で分かりにくいかもしれませんが、
おっかさんのしてきた子育てを振り返らずにはいられない…。
今までの『子育て』を大変考えさせられました。
無理をさせてきたのかな…。
次男…辛かったのかな( ;∀;)
…もしかしたら、長男も!?
過去を変えることはできません。
それは、不登校・ひきこもりになった時から、思い知らされていますが、
過去に学ぶことやフォローすることは出来るよね!…と、
自分自身を励ますように⁉思います(´-`*)
次男が元気になるように、幸せに外の世界でも生きていけますように…
切に願うばかりです。
子供の主張を尊重出来るように、
今からでも出来る接し方をして行きたいです(*´ω`*)⋆**⁂*
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